次のコトを考えつつ、メディアの危うさを考えてみる。

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地域メディア、じゃなくて「地域のメディア」を考えてみる。
SNSの浸透で誰でも発信できる状況で、魅力的な地域のコンテンツを、どう枯らすことなく発信し続けられるか…。


自分の好みで選んで人に勧めて、は現実の世界では有効だし、ネットでもある程度は効くのだろう。
でもある一定のキャパを超えると、コントロールできなくなる。
発した情報が独り歩きを始める。一人で歩き出した情報が一次情報になって現場を覆うときがくる。
そこに責任持てるかどうか、持つ気があるかどうか、なんだろうけど。
地域の情報って、結局は「人」じゃん。ミセでもモノでもコトでも、そこには「人」が必ずいるわけで、本当にクラッチできるか、できてるか、がキモだよなぁ。そして顔合わせる機会が多い地元地域だからこそ、成立する打ち出し方があるよなぁ、と思ったり。
それこそ、気にいる、気に食わない、から始まって、雰囲気からお互い探って作っていく人間関係そのもの、です。人と人、なんですから。
まぁ、自分のことを振り返ってみると、そりゃもう顔から火が出るくらい恥ずかしいコト、穴があったら自分で埋まりたいくらいの後悔したコト、もう取り返しつかないコト含めて、結構やらかしてきてるわけです。
別に後輩でもなければ、師弟関係でもないし、利害が重なるわけでもないし、指南する必要も気もないので、同じ鉄踏もうとしてる人を生温かい視線で見守っておこうかな、と。
でも、迷惑をかけられる側には、何の落ち度も(ほとんど)なく、そりゃ巻き込まれたら気の毒ですので、アドバイスしておきましょう。
そうやって「醸成されて」いくものなんじゃないかな、って思うんです。徐々に、1つずつ。

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