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三田まつりの花火のはなし【三田の梅さんが出来たわけ】

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三田まつりの花火を復活させた話をふり返る機会がありました。
せっかくスライドと筋書きを作ったので残しておきましょう。


はじまりは2008年、世界を襲った金融危機からでした。はじまりはじまり〜。


バルの話は、また別の機会に。。。


2008年に発生したリーマンショックの影響で、停滞してた経済がさらに底を破って突き落ちたあとでした。
その年の9月前半は日経平均で12,000円台だったのが6,000円にまで落ちたのですから、実経済にも大きな影響が出ました。
年が明けて2009年、1月の新聞に小さく「三田まつり縮小」と上がっているのを見つけました。
以前から減り続けていた企業協賛が一気に減るという予測から土日2日間開催していた三田まつりを1日に。そして費用のかかる花火大会を中止にするというものでした。

1月に8月のまつりの話がピンときませんでしたが、どこかで「まぁ誰かが文句いうて花火は揚がるんやろう」という感じで思っていました。
3月に入って別の用事で市役所を訪ねたとき「そういえばまつりの件、どうなったかな」と担当部所へ聞きに行ってきました。
そうすると「花火の件で初めての市民からの問合せだ」というのですよ。二ヶ月間、誰も何も言ってこなかったという。
ということはこのまま、年度が明ければ確実に花火はなくなってしまう。
急に危機感を覚えましたが、当時は何をどうすればいいか全く見当がつきませんでした。

知り合いの商店主に話してみたり、市民活動推進プラザに相談したりするうちに「一度、人を集めて話し合ってみよう」ということになり、声かけ人として司会をすることになりました。
その会議で「募金や署名を集める前に、まつりで花火を揚げたいと表明する団体を立ち上げよう」ということになり、言い出しっぺとして代表になることとなりました。
この辺りから、いろいろと名前が世に出てき始めます。ノーマークの人にとっては不思議な人だったと思います。


募金活動には三田市内の飲食店、事業所など本当に多くの協力を得て募金箱を設置させていただきました。
三田まつりへの思いを募集選考したステッカーも販売しました。

三田まつりへの思いをキャッチフレーズにして募集しました。その後選考して16種類のステッカーを作成し販売を開始しました。
このステッカーは、1枚500円の募金ですが、ステッカーを購入した人たちが「俺の花火、私の花火だ」という
「当事者意識を持つ」という思いがけない効果もありました。
他にも三田まつりチャリTシャツなども販売しました。身に付けるもの、持ち物にまつりを意識するネームが入っていると「自分のまつりだ」と思えてくるのです。当事者意識、大事です。


そんな活動の中、三田まつり実行委員会にも報道や現場を通じて「花火をやらないのか」という声が届きはじめ、
結果、年度明けの会議で花火中止の撤回をしました。
予算はない、時間はない、という土壇場で当時の竹内市長の英断でした。

企業協賛が減り、全国各地の花火大会や夏まつりの中止、中止しなくても縮小するという中、
「市民の声で花火が復活」のニュースは全国的にも希少で、テレビ、新聞など多くのメディアに取り上げていただきました。
活動のペース的にも週1回はプレスリリースを出し「三田まつりを考える市民の会」の発信を続けました。

さまざまなカタチで三田まつりをPRするイベントやプログラムを起てて、市民にお伝えしてきました。
三田駅前ペデストリアンデッキ、市役所前、郷の音ホールなど
カラオケ大会やフリーマーケット、ダンスイベント、よさこい、手伝ってくれた市民活動グループや個人のみなさんが思い思いのやり方で三田まつりをPR、応援してくれました。
幼稚園、保育所を対象に「三田まつりの絵」を描いてもらい展示もしましたね。

個人の募金だけでなく、企業の協賛金も増えました。
これまではがき一枚送りつけて1万円、5万円の協賛金を「お願い」していたのを個別に回り、話をした。という基本的な部分から見直した結果もあると思います。
結果、金額的にはバブル期の記録にはかないませんが協賛件数は過去最高になったようです。

ところが…。


いいことばかりではありませんでした。
三田まつり前日と当日朝まで、豪雨となり武庫川の水位が上がり、三田まつりが中止となってしまいました。
天気には勝てませんでしたが、イベントの保険などで事業者に支払われた実費などを補填されたのです、企業協賛や募金が次年度へ繰り越されることになりました。
タダでは転びません。

翌年はリベンジ、復活の花火ということでさらに多くの募金が集まりました。

募金活動をしていてたくさんの声をいただきました。
「人混みに出かけるのはしんどいが窓辺で見れる花火は嬉しい」というお婆ちゃん。

「まだ歩けないこどもと家のベランダで花火を見ています」というご家族。

「入院していた市民病院から観た花火が今でも記憶に残っている」というおじさん。

10円50円の募金は、金額の多寡ではなく思いが集まっているのだ、と実感しました。
来場者数だけが、まつりの効果測定値ではないとも感じました。
花火というアイコンは、このまちに生き、暮らす人にとっての重要なアイコンだったのです。
翌年の花火は無事に揚がり、その年の予算以上に集まった募金と協賛金、昨年度の繰越が花火大会運営の「基金」として扱われることも、三田まつり実行委員会への提案がかないました。

三田まつりの基金は市民や企業の思いが詰まった基金なのです。
基金を作って運営していく方針を決めた三田まつり実行委員会も組織のあり方を見直し、
改革を進めていきました。
花火業者の選定方法も金額だけを基準とした入札制度から、花火のプログラムの内容を説明するプレゼン方式に変更してもらいました。
花火を上げる側の思いも加味する必要があると感じたからです。業者さんからは賛否ありましたが、今はその方法を選んでよかったと思います。

三田まつりを考える市民の会としては、運営に関わることよりも外側から、市民の声を集めて届ける役割がふさわしいという判断から、シンポジウムなどを通じて「市民のための市民のまつり」を提案していきました。

いろんな人と出会えたし、話ができた貴重な時期でした。

 

そして、翌年です。
この活動は翌年の東日本大震災で大きくカタチを変えました。

復興支援で訪れた日本三景のひとつ松島町で長年開催されていた盆の花火イベントが開催できなくなるという話から、その支援をしようという事になり、募金を宮城県松島町のために集めて届けてきました。

松島町では、その夏「松島流灯会 海の盆」という新しい形のまつりが行われました。

現在、梅澤は三田まつりの開催について関わってはいませんが、まつりが継続してできていることは、多くの企業や組織が関わり汗を流しているからだと感謝しております。
Fin.

ちなみにこのプレゼン後、知事に「ご職業は?」と聞かれたプロフィールがこちらです↓

当時の新聞記事には、いろいろと取り上げられたので、なんだかんだと喋って残っております。

まぁ、どちらにせよ、正体ははっきりしませんねw
第4のレンガ職人です
https://sandanoumesan.com/archives/1507

 

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